南京1937ホームページ

劇映画 南京1937 (原題:南京大屠殺)
Don't Cry, Nanking

上映情報のお問い合わせは052−452−6036まで


1995年中国電影合作制片公司、龍祥電影制片有限公司制作
35_カラー・ビスタビジョン
日本語字幕付き
110分
原題:南京大屠殺(香港公開時の題名は「南京1937」)
監督:呉子牛(ウー・ヅーニゥ)
製作:呉宇森(ジョン・ウー)
脚本:徐天生、梁曉聲、洪維健、張翼平
撮影:楊慰、侯咏
音楽:鄭春雨
主演:秦漢、早乙女愛、劉若英、久保惠三郎、陳逸達
    王思北、陶澤如、史笑嫣、江國斌、孔維佳
★呉子牛監督からのメッセージ
★「南京1937」かいせつ
★「南京1937」ストーリー
★「南京1937」製作スタッフ
★「南京1937」キャスト
★久保惠三郎さんへのインタビュー

呉子牛監督からのメッセージ

 ニーハオ 日本の皆様


 今日、日本からの友情あふれる手紙を、中国の新彊で受け取りました。 友好の絆を結んで25周年になる日本からの手紙を、 悠久の歴史の中で中国及びその周辺諸国との友好を結び続けたシルクロードで拝見したのは、 素晴らしいことでした。
 お手紙から、私の祈念すべき作品《南京1937》がまもなく日本で上映されることを知り、心から嬉しく思いました。 この映画の製作には、二十数名の日本人が参加してくれました。 理恵子に扮した早乙女愛さんはとても優秀な女優であり、松井に扮した久保惠三郎さんも忘れがたい印象を残してくれました。 この作品の撮影において、彼らと共に友好の絆を深めた事を嬉しく思います。 さらにもっと多くの中日人民が、この映画を通じて友好の絆を結ぶことを願っております。
 上映に際して私は、中国の観客に「60年前の歴史的事件をテーマにした映画を撮ることは、 戦争を知らない私自身が同じ体験をし、同じ時間を過ごしたような気持ちになることであり、非常に沈痛な思いである。」と語りました。 この作品で私は地獄のような虐殺の場面を描写し、歴史を反省しております。 私は「人類の恥辱である戦争の実態を正視することにより、この恥辱を消滅させ、人類の進歩を獲得することができる」と常に思っています。 そして「この映画で民族的な恨みではなく生命の貴さを訴えたい」とも申しました。 崇高な愛がなければ、人類は遠からず終末を迎えることでしょう。これがこの作品を製作した究極の目的です。
 例えばこの作品中で、理恵子は悲惨な状況のなか中国人の夫・成賢との子供を生みます。 その「南京」と名付けられた赤ん坊や大勢の子供たちを小学校教師・書琴たちが長江に逃します。 ここで私は「彼らの前向きに生きる尊さや人間の美しい感情は、外界の圧力には何ら影響されない。 人間のあいだには民族の愛や感情を越えるものが存在する」ことを言い表そうとしました。 この映画の中心はすべて普通の庶民であり、暴虐にもめげずに美しく生きようとした庶民の霊魂であることを見ていただきたいと思います。
 厳冬の南京での撮影の日々において、中国各地から集まった多くの映画人、解放軍、日本と中国すべての俳優が、心を一つにして、 或いは議論を重ねながら、この作品のために苦しい創作を行いました。 このことは永遠に忘れ去ることが出来ません。この映画の上映にご努力いただいた日本の皆様に深く感謝します。 互いに機会があれば大いに語り合いましょう。お互い「映画の鬼」となりましょう。再見!

1997.9.7 中国西安にて  呉 子牛
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「南京1937」ストーリー


 「南京1937」は、日中戦争に翻弄された三つの家族の運命を描いている。 中国人医師・成賢(チョン・シェン)と日本人妻・理恵子の一家、劉書琴(リュウ・シューチン)先生と恋人の天遠(ティエン ユエン)、 そして南京に住む旧家の一族。この三つの家族の中で、特に理恵子の家族を軸に物語は展開される。
 1937年、第二次上海事変以後、大量の難民が上海から南京に流れ込んだ。 成賢と理恵子も二人の子供、春子と小陵(シャオリン)を連れて上海から成賢の南京の実家に戻る。 しかし、南京の家は日本軍の空襲によって廃墟となっていたため、友人の根発(コンファ)の所に一時身を置く。
 日本軍は広徳を攻め落とした後、南京を包囲する。 劉先生は、生徒たちの父母に会い南京を離れるよう説得するが、 かって清朝の進士であった小珍珍(シャオ・チェンチェン)のおじいさんは頑として言うことを聞かない。 成賢の息子の小陵は現地の小学校に転入し、妊婦の理恵子は根発の家で、しばらく静かに生活する。

 1937年12月10日、日本軍の南京攻撃が始まった。 猛烈な爆撃と火力に勝る日本軍は南京城の守備軍を撃退して、13日に南京を陥落させる。 南京を占領した日本軍は、十数万人に達する捕虜の処置に困り、12月18日、草鞋峽で中国人捕虜と市民、5万7000人を虐殺する。
 成賢は安全のため、理恵子に春子だけ連れて日本大使館に行くよう勧めるが、理恵子が家族が離れることを拒み、結局一家は難民キャンプに行くことにする。 その途中で、日本軍に遭遇。成賢が中国人だと知った日本軍は、理恵子たちから成賢を引き離し拉致してしまう。 難民キャンプにたどりついた理恵子は、日本人だとばれる危険も気にせず国際救済委員会のメンバーに夫の救済を頼む。 一方、成賢は台湾兵・石松の助けにより、無事日本軍から逃げだし家族と再会する。 だがそれもつかの間、日本軍が難民キャンプに乱入し、暴虐の限りを尽くす事態となった。

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「南京1937」かいせつ


 1937年7月、北京郊外の廬溝橋で数発の銃声が響いた。日本軍に対する中国軍の実弾射撃と判断した日本軍は、 中国軍への攻撃を一斉に開始した。この廬溝橋事件に端を発し、日中は全面戦争に突入する。
 1937年8月、上海での海軍陸戦隊と中国軍との交戦(第2次上海事変)以降、日本軍の中国本土への侵略は激しさを増していった。 中支那派遣軍と11月に杭州湾に上陸した第10軍は、中国軍を追撃して首都南京に迫った。 12月10日、日本軍は南京への総攻撃を開始した。日本軍の猛烈な爆撃と大量の重火器の投入により、中国軍は総崩れとなり、12月13日南京は陥落する。 この時、南京城内には難民区に避難した25万人以上の住民と、敗走兵、難民らが流れ込んでいた。また、南京郊外にも20万人前後の住民が避難していた。

 日本軍は、上海攻略以降、中国軍の猛烈な抵抗にあった。南京占領後、日本軍は捕虜、一般住民、婦女子に残虐行為を尽くし、 草鞋峡での5万7000人に及ぶ殺害ほか、30万人にものぼる中国人を虐殺した。 これが「南京大虐殺」と呼ばれるものである。
 「南京1937」は、上海から南京へ避難する中国人医師と日本人妻の一家を中心に、三つの家族を通して、 戦争の残虐さや、人間の狂気が渦巻く中で庶民がいかに生き、民族を越え人がいかに人を愛したかを描いている。

 監督の呉子牛は、1978年文革後再開した北京電影学院に入学、張芸謀(チャン・イーモウ)、陳凱歌(チェン・カイコー)らと同期の第五世代を代表する監督である。 「最後の冬」(86年)「晩鐘」(87年)「太陽山」(92年)など、日本でも馴染みが深く、「晩鐘」ではベルリン映画祭銀熊賞を受賞している。
 出演者には、中国人医師に「ロアン・リンユイ」の秦漢(チン・ハン)、 小学校の先生には台湾で最も注目されている若きスター劉若英(リュウ・ルーイン)が参加、 日本からは日本人妻に「愛と誠」でデビューした早乙女愛、そのほか日本軍総指揮官・松井石根に扮した久保惠三郎など、 二十数名が参加している。

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「南京1937」製作スタッフ

製作総指揮……王  應祥(ワン・インシャン)      Wang Yingxiang
製      作……呉  宇森(ジョン・ウー)          John Woo
監      督……呉  子牛(ウー・ヅゥニュウ)      Wu Ziniu
脚      本……徐  天生(シュー・ティェンシェン)Xu Tiansheng
              梁  曉聲(リャン・シャオシェン)  Liang Xiaosheng
              洪  維健(ホン・ウェイチェン)    Hong Weijian
              張  翼平(チャン・イーピン)      Zhang Yiping
撮      影……楊  慰  (ヤン・ウェイ)          Yang Wei
              侯  咏  (ホウ・ヨン)            Hou Yong
美      術……章  曉濱(チャン・シャオピン)    Zhang Xiaobin
              朱  剛  (チュー・カン)          Zhu Gang
              路  奇  (ルー・チ)              Lu Qi  
助  監  督……張  明志(チャン・ミンチー)      Zhang Mingzhi
録      音……鄭  春雨(チョン・チュンイー)    Zheng Chunyu
編      集……何  文章(ホー・ウェンチャン)    He Wenzhang
音      楽……譚  盾  (タン・トゥン)          Tan Dun
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「南京1937」キャスト

〈キャスト〉                                    〔役名又は役柄〕

秦 漢(チン・ハン)               QIN HAN …………成  賢(チョン・シェン)
早乙女 愛(さおとめ  あい)       AI SAOTOME………理恵子
劉 若英(リュウ・ルーイン)       LIU RUOYING ……劉  書琴(リュウ・シューチン)/小学校の先生  
陳 逸達(チェン・イーター)       CHEN YIDA ………トウ天遠(トン・ティエンユエン)/司令部連絡副官
王 思北(ワン・スーペイ)         WANG SIBEI………小  陵(シャオ・リン)/成賢の息子
史 笑嫣(シー・シャオヤン)       SHI XIAOYAN ……春子/成賢の娘
陶 澤如(タオ・ツゥルー)         TAO ZERU…………李  根発(リー・コンファ)/成賢の友人
久保 惠三郎(くぼ  けいざぶろう) KEIZABURO KUBO…松井  石根/日本軍総司令官
江 國斌(チャン・クオビン)       JIANG GUOBIN……石松/台湾兵
孔 維佳(コン・ウェイチャア)     KONG WEIJIA ……小  珍珍(シャオ・チェンチェン)/生徒
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久保惠三郎さんへのインタビュー

1998年3月28日の現代中国映画上映会による「南京1937」の上映では、映画の中で日本軍総司令官松井石根を演じた俳優の久保惠三郎さんが駆けつけてくださいました。現代中国映画上映会では久保さんにインタビューを申し込み、撮影中のエピソードやこの作品にかけた意気込みなどをお伺いしました。(敬称略)

注:現中映は「現代中国映画上映会」の略称です。

現中映
まず、この役を引き受けることになったいきさつを教えてください。

久保
94年6月のある日でした。偶然新聞の夕刊で、この映画の松井石根役募集の記事を見つけたのです。条件は「60歳以上、やせ型、中国文化に興味のある人」などとなっていました。瞬間的に、「これは昭和一桁生まれの私の仕事だ」と思い、応募したんです。その後しばらくして中国側からスケジュール確認の連絡がありました。オーディションも何もなく、書類選考だけで決まったようです。

現中映
採用の決め手は何だったと思われますか。

久保
監督の呉子牛さんからは「あなたの経歴がおもしろい」と言われました。実は20年くらい前、日中の子供たちの交流を記録した「[イ尓]好、小朋友」という映画を監督したことがあったんです。当時大阪で中国に関するイベントを開催することになり、その活動の一部として映画製作をしたんですね。まだ今ほど日中の交流が盛んでなく、日本人の誰もがあまり中国のことを知らない時代でした。また以前松竹の京都撮影所に所属していたことがあり、そのときに「二等兵物語」という作品で上官にゴマする兵士役を演じた経験もありました。

現中映
過去に中国とのつながりを持ち、かつ日本軍を演じた経験もある。きっとそういうキャリアが中国側に評価されたのですね。

久保
しかし、二等兵だったのが、今度は大将ですからね。しかも40年たってせっかく出世したと思ったのに、今度は天皇へゴマする役だった(笑)。

現中映
撮影中の思い出は?

久保
大きな穴を2つ掘ってそこに中国人を大勢連れ込んで、まとめて射殺する場面があったでしょう。2500人のエキストラを2回使って計5000人の人が殺されたところを再現したのですが、あまりにちょうどよく掘られた穴だったので、撮影終了後呉監督に、「ずいぶんいいロケ地を探しましたね」と言ったんです。そしたら監督は「ここが現場だったんですよ」と一言。私は思わず真っ青になりました。続けて「ここは揚子江が近かったから、死体を処理するのに都合がよかったらしいんです」との監督の言葉に、そばに日本から取材で来ていたテレビ局の女性記者が泣き出してしまいました。

現中映
全体的に中国側の人たちの、久保さんに対する態度はどうでしたか。

久保
みんなとてもよくしてくれました。「いやな役を引き受けてくれてありがとう。松井がいてこそ歴史の証ができる」と言って温かく私を迎えてくれましたよ。

現中映
久保さんと同世代の日本の方々(戦争体験者)の、反応はお聞きになっていますか。

久保
ある知り合い(70歳)の人からこう言われました。「久保君、本当にいい仕事をしたね。私も生きているうちにどうしてもあの時代の真実を言いたいと思っていたんだ。この映画は、それを私の代わりに言ってくれたような気がするよ。確かに観るととてもつらい映画だけど、これでやっとすっきりした感じがする」とね。

現中映
松井石根という人物については。

久保
南京の事件があったとき私はまだ子供でした。でも松井大将が南京入場に騎馬で閲兵する姿にわくわくし、かつ「一人でも多くの支那人を殺してください」と手紙まで書き送っていたのを覚えています。完璧な軍国少年でした。でも、そのころの子供はみんなそんな調子だったのです。

現中映
当時の自分を今はどう思っていますか。

久保
幼かったとはいえ、私も加害者の一人だと思っています。そして私たちは結局、子供や孫の世代にそのツケを負わせてしまっている。日本の若い人たちに対しても加害者なのです。私がこの役に参加したのは、それらへの贖罪の気持ちからです。そして二度と私のような軍国少年を作り出してほしくないと願ったからです。それが年老いた、かつての軍国少年のせめてもの罪滅ぼしだと思っているのです。

現中映
今日は貴重なお話をありがとうございました。

(1998年3月28日、シビックホールにて)


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